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ライブやクラブに遊びに行くと、翌日、耳に音が残ることが多い。音の残像というか、音の後味というか。メトロに入って帰るまで、約9時間もあの音を聞いていたのだから、きっとあの音の後味を翌日味わえるだろう、と期待したのだけれど、きれいさっぱり何も残らなかった。やっぱり空調。存在感をとことん消し、インテリアとして主役にならないのが空調である。
今尾さんは彫刻も音楽も分野横断していて、今はこういった「音響彫刻」とも呼ばれるような表現をしている。音響彫刻とは、音のあるオブジェ、オブジェであり音である。メトロの空調からうねうね伸び出たダクトは確かに彫刻的な視覚情報として捉えられるが、今回の展覧会がクラブメトロで開催されたこと、音階や音の鳴るタイミングが今尾さん本人によって設計(作曲)されていたこと、位置によって変わる聴取感覚も計算されていたこと、さらには、立ち呑みが始まると完全なBGMに転位したこと。これらの音楽的要素から、私はやっぱりあの日に聴いたものは、今尾さん作編曲・指揮、メトロ空調設備とダクトが演奏した「音楽」だったと整理したい。COVID-19というウイルスが猛威を振るい、今尾さんは予定していた海外での滞在制作に行けなくなり、メトロはスケジュールに空きが出てしまい。そんな条件が揃わなければ鳴ることのなかった、再現不可能な音楽。
再現不可能だとわかっていても、あの音楽をもう一度耳に呼び戻したくなり、当日こっそりバーカウンターから録音していたmp3ファイルを聴いてみた。デジタル信号となった音源はまったく別物。あの現場で聴いたはずの立体的な音感覚は、笑ってしまうぐらいに消えていた。
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