平安京は、平城京、難波宮、ひいては唐の長安と同様に都市をグリッドにしてしまう強引な区画整理と都市計画を行うことで、より中心(=国家)の権力というものを誇示することに成功した。「なんと(710)、大きな平城京」、「鳴くよ(794)、うぐいす平安京」の次は、「良い国(1192)つくろう、鎌倉幕府」であろう 。[※10]歴史を語る際の区分としては794年から1192年までの間を平安時代というが、1869年に天皇が東京に居を移すまでのおよそ1000年、京都は確かに「都」だったのである。
大阪も奈良もグリッドシティが現代にも残されているものの、難波宮の所在地の発見は第二次世界大戦後であるし、平城京も正確な範囲が不明だったために1914年に平城京跡の中に線路を敷かれてしまっている。都が都としての責任を感じ続けているのは日本のグリッドシティでは京都だけで、そのために生まれたねじれが京都の市井にも浸透している。
それを最も端的にあらわすのが「通り名」である。10世紀ごろには町名が生まれ、17世紀ごろには住所として使われ、地租改正を経て数字にて番地を与えられた現在でも通り名は健在だ。通り名の難しさは、表示すべき建物が面している通りを先に示し、次に示されるのは最寄りで交差する通りで、その交通地点から東西南北どちらへ行けばたどり着けるのかを「上ル・下ル・西入ル・東入ル」で指し示すことである。グリッドシティであるのにも関わらず、このようなわい雑な表記をしなくてはならないのは、京都がグリッドの一コマを一つの町とするのではなく、通りを挟んで向かい合わせて町としているからだ。
このような町のあり方を長谷川堯は獄舎と共通点を見出し、このように論じる。
「京都の町衆たちは、自分自身の主体的な投企として自分たちを都市空間に封入し、そこで存在の開花を目ざし、その繰り返される投企の中で、これらの空間的語彙を練り上げた」[※11]
「つまり外縁を厚い壁と床によって閉じ込めるという原則があるため、すべての構成は、日常(シャバ)の場合のように外にむかって開くのではなく、反対に、内にむかって開く性向を余儀なくされるのだ。だから、監房はいつでも内側に(つまり通路に)むかって開かれており、その結果として、対面する監房の列にはさまれた中央廊は、私たちの日常的な空間感覚では想像もつかないほど、濃密な空間性を付与されるのである。」[※12]
「内的なものが神殿(永遠の価値)を通して高く聖なる場所へ射出されてしまうところに、「自己の拡充」も「自己の充実」もないこと、したがって「自由」もないことは言うまでもないだろう。」[※13]
長谷川がここで指摘したいのは国家によってつくられた都市をハックするだけではなく、別のものへつくり変えた町衆という存在が自ら自由を手に入れたということであり、そこにこそ一個人の成熟、「生」や「自由」の享受があったし、このことは、京都が持つ長い歴史を織り返すことによって新たなレイヤーをつくれるから可能となったのだ。
「獄舎は夜、独房にとじこめられた囚人たちによって逆に占拠されている。建物は彼らの身体としてひろがり、闇の中でそれぞれ身体を結び、監獄を行刑者のものではなく、彼ら自身のものとして歌いあげてしまっている。その、こつ、こつ、という断続的な音は重なって、石の教会堂の中を渦巻くパイプオルガンの音のように、獄舎の中を駆けめぐり、権力が分断した〈連帯〉そのものを回復させる。その時建築は、その中にとらわれたとみえた者たちによって完璧に身体化され、獄舎は闇の中で獄舎であることを超越する。」 [※14]
長谷川が神殿(永遠の価値)に対して挙げた獄舎、ことさら豊多摩刑務所は治安維持法の制定以来思想犯を収監してきた。獄舎というのはごく一握り以外の人たち以外にとっては「仮住まい」である。神を祀る建築としての神殿と仮住まいである獄舎とそれとよく似た街、京都。その時間の対比は今尾の作品によくあらわれており、《work with》シリーズは、作品の時間軸と展覧会の時間軸を平行線に走らせているから数年に及ぶ一つの長いプロジェクトとなっている。都市ですれ違い、出会う人々のコミュニケーションの位相は様々だ。都市での連帯は最大瞬間風速的に結びつく連帯が過ぎ去ったあとの虚しさも出会った瞬間に同時に受け取る。いくら京都の町がその四つ辻に濃密な空間性と密な親密圏を残そうとも、そこに吹く風はいつもそのような虚しさでもある。
彫刻の耐用年数、ソフト・スカルプチュアの耐用年数、インスタレーションの耐用年数、展覧会の耐用年数、都市の耐用年数…。今尾の関心とはそれぞれに流れる時間なのではなかろうか。それぞれの寿命の最大公約数の中にある通時性にこそ、「現代」という時間と空間がアトモスフィアとして立ち上がる。様々な位相の中で出会う私たち。その記録係として筆者であるところの私が今回は併走しているが、この併走もいつまで持つかは分からない。ただ、2020年12月15日の都市でもない、ビルディングでもない、地下でもない宙ぶらりんの場所で、空調が作品により支配されていることで底冷えのする場所で、私と今尾は共にいて、これを読んでいるあなたもそこにいたかもしれない。そういう出会いもあるものだ。
「ところが僕たちが相手にしようとしている《時》というやつは、僕らの生を無意識から全部丸ごと引っさらって流れる一本の流れなのだ。流れの中にあってはじめて、時は時たりえる。」 [※15]
※1 しかも、このような動きにより草間彌生のソフト・スカルプチュアよりはるかにファルスを巧みに表象している。しかし、おそらくこのことは今尾の算段にはなく単に筆者であるところの私の連想遊びのようなものである。
※2 「Soft sculpture surveys the impact of unconventional materials on three-dimensional art practice over the last five decades. From the 1960s, artists began to use cloth, fur, rope, rubber, paper, leather, vinyl, plastics, and other new substances to make forms that are persistent rather than permanent. The choice of these materials emphasizes natural forces, such as gravity and heat, and in many cases have metaphorical or metaphysical implications.」Lucina Ward, Essay from Soft sculpture exhibition, National Gallery of Australia, 2009
※3 「Soft sculpture includes large works that hang, glitter, drip, or ooze, as well as installation into which we enter to be surrounded and suffused.」Lucina Ward, Essay from Soft sculpture exhibition, National Gallery of Australia, 2009
※4 今尾がかつて筆者に話したことだ。
※5 「Half or more of the best new work in the last few years has been neither painting nor sculpture.」Donald Judd, Specific object, Arts in America October/November, 1965,p.181
※6 「The new work obviously resembles sculpture more than it does painting, but it is nearer to paiting.」 Ibid,. p. 183
※7 2020年現在、かつてサイバースペースやヴァーチャル空間と呼ばれていたインターネット上での時空間は、より一層、現実(real)としての市民権を得ている。そのため、現実の空間ではなく、私たちが地に足つけるフィジカルな空間と訳出する。
※8 「That gets rid of the problem of illusionism and of literal space, space in and around marks and colors--- which is riddance of one of the salient and most objectionable relics of European art. […] Obviously, anything in three dimensions can be any shape, regular or irregular, and can have any relation to the wall, floor, ceiling, room, rooms or exterior or more at all. Any material can be used, as is or painted.」Ibid,. p.184
※9 今尾の出身校である京都市立芸術大学には建築学科はなく、それに最も近いのは環境デザイン専攻となる。
※10 より正確に言えば、784年遷都の長岡京や、計画で頓挫した和田京、1180年の福原京などがその間にはある。
※11 長谷川堯『神殿か、獄舎か』鹿島出版会、p.196 (1972)
※12 Ibid,. p.198
※13 Ibid,. p.179
※14 Ibid,. p.184
※15 佐藤良明『ラバーソウルの弾み方』ちくま学芸文庫、p.17 (1989)