破れガラスにはヴァイオリニスト、槍にはオルガン、棒にはもっと君が聞きたがるすばらしい音がある。
―マリオ・メルツ
今尾拓真の《work with》ってソフト・スカルプチュアなのか!と9作目にして気づいたのは、彼が初めて素材にフレキシブルダクトを用いたからである。今尾によるプログラムで制御された空調とその空調によって音を鳴らすリコーダーをつなぐメディウムであるダクトはこれまで塩ビパイプ管やヴォイド管などソリッドな材質であったが、今作の空調が動くたびにブルルと膨らむシルバーのフレキシブルダクトは、草間彌生のソフト・スカルプチュアをすぐさま思い起こさせる。[※1]しかしながら、ソフト・スカルプチュアの「ソフト」は必ずしも触覚的な柔らかさだけを指すものではない。
「ソフト・スカルプチュアはここ50年以上、三次元の芸術実践において伝統にとらわれない素材の効果を追求している。1960年代からアーティストは布、ファー、ロープ、ゴム、紙、革、ビニール、プラスチックなどの新しい物質で永久に残るというよりかは持続的なモノをつくり始めた。これらの素材の選択は、重力や熱、多くの自然現象が持つ比喩、形而上学的暗示を強調している。」[※2]
「ソフト・スカルプチュアは吊るされたり、きらめいたり、したたり、じくじく流れ出たりするような大型の作品も含まれており、中に入れたり、囲ったり、覆われるようなインスタレーションアートと同じである。」[※3]
ソフト・スカルプチュアは触覚的に柔らかい素材を用いた彫刻ということではなく、日常生活にあらわれるもので彫刻が作れるか、という新しいメディウムへの挑戦とも捉えることができる。木彫や石彫などのいわゆる伝統的な彫刻は素材が重たく、硬く、加工が難しく、入手の困難さなど様々なハードさがあったが、ソフト・スカルプチュアはハードな彫刻よりはハードルが低い。そのため、より多くのことが可能となり、インスタレーションのような大型の作品も可能となったし、ヨーゼフ・ボイスが明らかにしたように作り手と鑑賞者が同じ位置に立つことができる公共圏を獲得することもできた。
今尾の《work with》シリーズも「ホームセンターで手に入る素材でつくっている」[※4]ことや使われる素材の耐用年数などを鑑みれば、一貫してソフト・スカルプチュア的だった。ただ、彼がソフト・スカルプチュアとは異なるのは、彼の作品には彫刻の自律性がないということだ。空調の電源を操作するプログラムを組むこと、そもそも空調のない場所では展示ができないことなど、作品に対する多くのケアが必要である。さらに、彼がリコーダーやハーモニカ、ブルースハープなどの音を調整し、つくる「響き」という不可視なものを彫刻と言ってしまうことも可能であり、響きそのものに関しては耐用年数を測ることができず、ソフト・スカルプチュアと一言には言い難い。一旦、私たちは「彫刻」と呼ぶこともできるが、取りこぼすことはあまりに多い。
新しいものに名前がないことはよくあることで、ソフト・スカルプチュアという言葉もそれらを指す作品よりも先には生まれてこなかった。しかしながら、新しさを察知できる同時代の人がいるときもあり、ドナルド・ジャッドもそれを察知し、文章で残した一人である。『明確な物体(Specific Object)』(1965)は、ソフト・スカルプチュアというジャンルを語るときに必ず名前が挙がるクレス・オルデンバーグや草間彌生も含めた新しい芸術の潮流を「今日の多くの良い新しい作品は絵画でも彫刻でもない」[※5] と高らかに宣言するところから始まる。新三次元芸術(The new three-dimensional work)と名付けられたそれはあれでもない、これでもない、絵画でもない、彫刻でもないと主張されるものの、「新しい芸術は明らかに絵画がなしていることよりも彫刻に似ているが、しかし、それは絵画に近しい」[※6] と彫刻と絵画の間にその新しさを見出そうとする。この回りくどさと、仰々しい新三次元芸術という名前にジャッドは何を込めたかったのか。